終わりのある永遠
永遠って何だろう。
和子さんはそんなことを思いながら、ぼんやりと覚醒した。それは言葉ではっきりと形になって沸き起こったのではなく、曖昧な思考の渦にあった。今日は眠りに落ちる頻度が高い。これがどういう事態を差しているのかは自然と理解していたため、足掻く事もなく、和子さんは眠りの波に身を任せていた。
寄せては、返す。ゆらゆらと、たゆたうような心地がして、和子さんは海を思った。泳ぎもせずにただ水に浮かんでいるのが楽しかった時があったわね、と。ひどく、懐かしい気分になった。もうやってこないのだなと思うだけで、大切な物を無くした気分になる。本当は無くしたわけではなく、思い出はきちんと胸の奥底に根をはっているのだけれど、そう思ってしまう事はやめられない。
海を思い出したのを契機に、色々なことが蘇っては消えていった。先ほどのように、やはり言葉にはならない。映像とその時の感情とかが複雑に入り混じって、突発的に表れては消えていった。
さながら、水中から上がってくる水泡のようだった。表面に上がっては、はじける。はじけて、記憶が飛び出す。
子供の頃の思い出は、はさすがに色あせたイメージだった。しかもはっきりと蘇っては来なくて、酷く断片的に一場面だけが思い出された。その中にふと幼馴染の幸恵の姿が出てきて、和子さんは会いたいと思った。
父も、母も。和子さんの中で笑っている。記憶はとても便利なのかもしれない。辛かった事よりも、楽しい嬉しいことの方を、より鮮明に刻んでくれていた。
浮き上がってははじける水泡は、和子さんの胸を締め付けた。
あら、おじいさん。
ぱちんと現れた姿に、和子さんは微笑んだ。しばらくの間写真でしか見ていなかった彼の姿は、出会った頃の若いものだった。和子さんに向けて笑いかけている。
私も面食いだったのかしらね。和子さんは自分を振り返って笑った。
楽しかったわねえ。
一筋縄ではいかないことも多かったけれど、総じて良い事の方が多かったと思える自分は、とても幸せだと思った。
水泡は弾け続ける。
朋子は未熟児一歩手前だったのよね。それがあんなに成長するのだから立派なものですよ。弘志は逆に大きくてねえ。生むのが大変だったわ……。
自分の思い出よりも、子供たちと夫と作っていった思い出のほうが鮮やかで、量もたくさんあった。浮かんでは消えていく。
入学式、卒業式、……結婚式。
節目節目の出来事は当然のことながら、それでもよりいっそう記憶に残っているのは、何のことはない、日常の風景だった。
休日の昼間。夕食の会話。散歩をした道のり。庭の水撒き。些細な喧嘩。笑い声。
ずっと続けばいいなと思っていたのだ。
和子さんは、ずっと胸の内にあったものを考えた。
永遠。
何なんでしょう。
しかし、それを考え込む体力が、和子さんにはなかった。ただ疑問だけが沸き起こって、ぐるぐると渦を巻くだけだった。
そんな時、部屋の空気が動いたように、和子さんは感じた。誰かが部屋に入ってきたのだろう。
「……おばーちゃん?」
和子さんの鼓膜は、力の限りを尽くしたようで、愛しい声を拾ってくれた。生憎、まぶたは持ち上がってはくれず、声も咽の奥から出て行ってはくれなかった。どうしようかと和子さんが思った時、頬に温かいものが触れた。
和子さんは、その感触を良く知っていた。
ああ、そうね。
触れた先から温もりが伝わって、和子さんの頭に行き届いた。
永遠はないけれど、続いていくものはある。これが一番、永遠に近い気がした。
父と母から和子さんが生まれ、そして引き継いでいったものだ。愛しい者たちだ。
「おばーちゃん」
頬を撫でられる。
和子さんは、それに答えようと精一杯の力を出して、笑おうと試みた。
この土地も、世界も、永遠には残らないということは分かっている。けれど、和子さんの大事な人たちのために、せめてひと時でも長くあって欲しいと、願った。
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