平行線の先は見たくない




 田舎の電車はとてものん気だ。長くまっすぐ、どこまでも伸びているように見える線路を見つめて、蛍子は思った。一度、たった一度だけ、蛍子はこの先にある都会に行ったことがあった。そのときの衝撃は今も鮮明に覚えている。都会の電車は凶器のようだった。するどく速く、しかも時間をおかずに攻撃をしてくる。電車によって生じた風は埃臭くて、肌に痛かった。蛍子は思わず後ずさりしてしまったのだが、周囲にいた人々はぴくりとも動かず、ただ乱れた髪をうるさげにかき上げるだけだった。都会人ってタフだ。蛍子はその時、感心してしまった。
 目の前をやってくる電車はそれとは対照的だった。音はがたんごとんと緩やかな節をつけて耳に柔らかい。通り過ぎた風も、緑の匂いをはらんで、蛍子に纏わりついては離れていった。一時間に一本の電車が、後方に去っていくのを、蛍子は髪の毛を撫で付けながら見送った。
「よくさ、いたずらしたよな、この線路」
 隣にいた和明も気づけば同じ方向を向いていた。
「まあね。おかげでさんっざん、怒られたけどね」
「そうだっけ」
「そーよ!」
 和明を非難しながら、結局は自分も同罪だったので、蛍子はそこで黙った。視線は自然と線路にいった。いたずらというのは、線路の上に小石を乗せるという単純なことだった。駅から離れたこの場所は、見張っている者も発見する者も少ない。それをいいことに、小学生の時は頻繁に小石を乗せては、それが電車によって弾かれる様子を隠れて見ていたのだった。たまに車輪によって粉々に砕けてしまうこともあったが、コツを覚えた後はそんな失敗をしなかった。そのうちお気に入りの石に自分の色を塗り、どちらの石がより遠くへ飛んでいくかということで競っていた。その石は、今も蛍子の机の中で眠っている。
「でもよー、まじで電車止まっちまったのには驚いたよなー」
「バカ言わないでよ。あんたのせいだからね、あれは間違いなく」
 蛍子は眉を顰めて和明を睨んだ。
 小石に飽きると、和明は調子に乗って石をどんどん大きくしていったのだ。初めはうまくいっていたその行為は、あっけなく終わりを告げた。電車が止まった時の驚き、駅員さんの怒り、二人の両親の平謝り、そしてその後の悪夢のような説教。忘れたくても忘れられない思い出だった。
「きっとさ、俺たち駅員のブラックリストにのってるぜ、絶対」
「ちっとも嬉しくないわ。前科もちの女なんて!」
 わざとらしく顔を覆って泣く真似をすると、和明はげらげらと笑った。蛍子は手の指の隙間から、そっとその横顔を見た。声を上げて笑う和明はいつも通りの彼で、蛍子は憎らしさを覚えた。視線を反らすと和明の背後に、あの事件の後につけられた木の柵が見えた。これが出来てから、二人はあの遊びを止めたのだった。
 今ならあの遊びの危険性がわかる。それを想像して、蛍子は背筋がぞくりとした。石をのせるという行為。偶然、運が悪く車輪に挟まれて転倒してしまうという事態もありえたのだ。
 子供の発想は無謀だなあ、と蛍子は今更ながらに実感した。しかしそう思う一方で、その怖いもの知らずだった頃が、宝石よりも貴重で、何よりもこの手に欲しかった。大人に近づくにつれ、蛍子には怖いものが増えてしまっている。
 ぎしり、と木の軋む音がした。見ると和明が柵に体を凭れ掛けさせていた。蛍子に背を向けて、線路を見ている。背、高くなったんだなあ。自分より高い頭を見つけて、蛍子はどうしていいかわからなくなった。
「電車、もうそろそろだなー」
「そだね」
 会話が途切れ、風の音だけがした。耳元の髪が揺れ、蛍子の鼓膜にかさかさと響いた。
「なあ、久々にやってみねえ? 石乗せ」
 にやりと笑って和明が言った。小学生の頃と同じ笑顔で言われて、蛍子は反射的に頷いていた。
「よっし!」
 和明は嬉しそうに木の柵を飛び越えた。蛍子もそれに続くが、スカートを穿いているため、慎重にならざるを得ない。ズボンにすれば良かった、と蛍子は内心後悔した。
「どれがいいかな」
 和明は早速線路わきの石を物色し始めている。意外と、線路に敷かれた石は大きいのが多い。その中から、小指の爪ほどの大きさを選ぶのは、結構難しい。
 蛍子も負けじと探しはじめた。俯きながら、灰色の石に魅入る。あの頃より視点が高くなっていて、探しづらいということに気づいた。ふと涙が出そうになって、慌てて瞬きをした。
「よっし、見つけた。お前は?」
「オッケーよ」
「んじゃ、お前そっち側な。俺こっちに置くから」
 和明は線路を跨いで、向こう側へと飛び越えた。慎重に、車輪にはさまってつぶされないような位置に置いている。蛍子も自分のレールに石を乗せた。コツは覚えていた。
「さって、後は電車が来るのを待つのみ!」
 和明は反対側の木の柵へと戻った。蛍子はそれを眺めながらぼんやり思った。
 最後まで傍にいてくれないんだ。
「お、電車来るぜ!」
 音が風にのって蛍子の耳にも届いた。線路を挟んで右を向くと、電車が駅の方からやってくるところだった。振動が、レールから伝わって、蛍子の足を刺激した。
「遠くに飛んだ方が勝ちな!」
 和明は少年のようにはしゃいでいる。蛍子は目を反らさずに見つめた。電車が来なければいいのに、と祈る。だが、音も振動も祈りに反して大きくなっていた。
 都会へ行く電車。この電車が過ぎたら、和明は次の電車に乗っていってしまうのだ。都会へ。
 頭を振って、蛍子はやってくる電車を睨みつけた。無情な鉄の塊が、やってくる。優しかった田舎の電車は、都会のと変わらず冷たく鋭く感じた。
 風が強くなってきた。髪が乱されて、蛍子は手で押さえた。
 和明も、きっと都会の電車の勢いに圧倒されるだろう。でもそれは一瞬で、都会の人々と同じように、あの痛いくらいの風にぴくりとも動かされないようになるのだろう。そうして、何事もなかったかのように乱れた髪だけを撫で付けるのだろう。
 蛍子は目を瞬いた。電車は嫌いだ。心の中でひとしきり罵った。
「来るぜ!」
 鉄の箱は目前に迫っていた。緑の匂いが風にのって蛍子の傍を通り抜けようとしている。
 蛍子は目を見開いて、和明の小石を凝視した。おそらく、自分は飛ばされたあの石を見つけだしては、大事に取っておくのだろう。簡単に予測できる未来に抗いたいと思いながら、蛍子の目は小石から離れなかった。弾かれた場所を逃さないようにと願った。
 目が乾く。風がそれを助長した。
 上手い具合に、涙が出た。目を湿らせて、蛍子は挑むように電車と小石の距離を測った。







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